借金地獄な人生ひたすら自業自得

借金地獄な人生だけど自業自得

離婚・再婚・養育費・FX大損・借金地獄・債務整理。壮絶な人生と残念な貧乏生活を晒します。

【でででの貧乏話】こてつさんブログにお邪魔して私でででーさんが最初に心の底から貧乏を体験した時の暗い話を書く

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こてつさんのブログから久々の更新通知が!と期待したそこのアナタ…

大変申し訳ありませんm(_ _)m

今回の記事を書くのは、こてつさんではなく、カキタクナッタラの私でででーさん(@d3_dayo)が…こないだ自分のブログで開催したこれまでに描いてきたイラストの総選挙で1位を獲得したこてつさんへの景品として記事を寄せさせて頂きます。

www.d-3.site

いずれ、こてつさんも落ち着いた時にきっとブログの更新を復活させるのではないかと思うので、それまでのツナギとして、今回は私でででーさんの記事によかったらお付き合いください。


こてつさんのブログと言えば、大まかに表現すればきっと雑記ブログなんでしょうけど、中でもお金のこと…特に『貧乏ネタ』が最大のテーマとなっています。

そして、こてつさんから今回1位獲得の景品として頂戴したご要望は私でででーさんに貧乏ネタで記事を寄せてほしいということなので、常に…貧乏ネタには実は事欠くことはない私ですが、中でも重ためな?(と自分で思う)ネタを今回特別に用意することにしました!

きっと…逆に自分のブログではこういうことを書くことは、後にも先にもないと思いますよ<(`・ω・´)


少し重たい話になるかもしれませんが、さっそくいってみましょう!

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20歳に成り立ての頃、ある日突然…母親の体調が悪くなり、数日間ほとんど家の中で動けない状態になりました。

体の節々が痛いということで、最初は通常の風邪や筋肉痛を疑っており、私はもちろんのこと本人も含めて、誰もがそんな大事になるとは思っていませんでしたが…さすがに治りが悪すぎる。

ある日、全く動けない状態であるため、救急隊に連絡をしてみたところ、すぐに救急隊が駆けつけ救急指定への病院へと入院することになりました。

お医者さんの診断結果は、我々身内が思っていたよりも悪く、しばらく入院して治療が必要ということになりましたが、手遅れになる前に入院できたので命には別状ないとのこと。

それから一ヶ月、本人は丸一日投薬治療、そして食事は全く摂れない状態が続いていましたが、ちょうど一ヶ月を経過した頃のお医者さんの話では、入院当初よりかなり良くなったので、そろそろ柔らかいものからでも食事を始めて回復に向けての治療に専念できるとのこと。

病院へ連れて行った日には予想よりもお医者さんの言っている内容が悪く、しばらくは不安に駆られる日々だった分だけ、そのお医者さんの言葉は全てから解き放たれる希望の言葉かのように感じられました。


その2日後に母は急死しました。


あれから10数年経ちますが、未だに心肺が停止して亡くなってしまったということ以外、私もハッキリとした理由はわかっていないんです。

なんで、そんな急に診断結果と相反する結果になってしまったのか?嘘をつかれていたのか?何か医療ミスがあったのか?

全ては未だに藪の中なんですが、まあ…それはもういいのです。


近い身内を亡くしてしまった方はわかると思いますが、残された遺族というものは何も考えず悲しみにくれたい時期ですが…そうもいきません。

特に私は戸籍上、母子家庭だったので母親絡みの支払いや債務は、母親が亡くなった瞬間から全て私に降りかかってきました。


私がたった一瞬で貧乏になった瞬間でした。


・集中治療をした病院代
・葬儀の費用諸々
・母が未払いだったものや維持費
などなど


特に上2つは(特に真ん中)、既にその時の私は社会に出て働いていたと言え、まだまだ若造である当時の私にとっては額面を聞いただけで非常に大きく感じるお金が、あっという間に請求されて、あっという間に無くなっていく。高額の医療費なんかは申請すれば国の負担がありますけど、当時の私はそんなことも全く知らない。

なんというか…言葉では言い表せないような世界の変わり目でした。イキナリあれは…きつかったなあ(汗)

だからこそ、子の親というのは常日頃…自分の子供には苦しい思いをさせないようにと、いろいろやりくりを考えたり、何かに加入していたりするわけですが、残念ながら当時の母にはなかなか余裕もなく…そしてまさか、こんなにアッサリと亡くなってしまうとは本人が一番思っていなかったのでしょう。

こういった不測の事態に際する備えは皆無という状況でした。


私が大人になってから最初に遭遇した貧乏とは…私が年齢的にも正式に成人を迎えてすぐに訪れた…母が私に宿題として残した…私が大人になるための試練だったと、今はそう思うようになりました。

あと…身内を失った悲しみというのは…とにかく大きな大きな穴が心の中にぽっかりと開いたような気分で、もし…そんな時にやることも悩むこともなく暇していたら、自分自身がきっと壊れてしまったんだと思います。

幸い、身内の死後というのは病院・葬儀屋・関係者・役所関係など、調整をとるところが目白押しでロクに寝る暇もありませんでした。

忙しすぎて「母親の死」という現実と向き合う時間が全くない、一番悲しい時期に大人のやり取りやお金の悩みで現実から目を背けることができた。

私はあの時に突如として訪れた「貧乏」を経験できて良かったと思っています。

当時の私が余計なことを考える暇もなく生きていくための糧になったし、おかげさまでそういったことに関する知識もつけることができました。何より私がその後を生きていく上で必要な強さが身についた。


それから10数年が経って、まだまだこてつさんよりも若輩者で未熟な私でもわかっていることがあります。

それは「良い時もあれば悪い時もあること」

そして「貧乏こいたって早々は死なないこと」

誰しもが貧乏になる可能性はある、人生における時間は決して良い時間ばかりではない。

ただ、生きていれば必ず巻き返すチャンスは訪れるはずです。

こてつさんだって、きっとこれから巻き返すでしょうし、巻き返した時はこのブログが完全にクローズする時でしょうね。


そんなこてつさんほど、いま私は大変な思いや苦労はしていないのかもしれませんが?

でも、今は会社勤めをしているわけではなく、自分で仕事を頂戴している身なので、勤めていた頃のような月初や年初に無条件で入ってくるお金を計算できる生活はなかなか送れない、自分が好きで選んだ生き方とはいえ、毎月毎月がけっこうジェットコースターです。

ただ、それでも明るく元気にポジティブな姿勢で日々を過ごそうと思えるのは、20歳になって早々に降り掛かってきた…自分にとっては大きなあの試練を、なんだかんだで乗り越えられたからかもしれませんね!

生前、母は私の将来・行く末をものすごく心配していましたから、ちょっと手荒らすぎる気もしないではないけど、最後の最後まで親として試練を私にぶつけたかったのかもしれません。

今では、そうやって死に際まで、私を強くしてようとしてくれた母親の生き様に本当感謝しています。おかげさまで弱い心だらけの私も何とか今日まで強く生きることができました。


これから先、出来れば貧乏こく時間は一秒たりとも作りたくはないわけですが、でも…もし、これからも貧乏と対峙し続けなければいけないとしても、私の心は…


『ボロは着てても心は錦』


そうありたいものです!

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今回は、こういうことでもないと中々書く機会がないテーマで記事を書かせてくれたこてつさんに、感謝したいと思います!

けっこう書くこと自体が新鮮で面白かったですよ(^^)

そして…今回のこの記事に少しでも触発されて、こてつさんがまたあの類稀な文才で少しずつでも記事を書く意欲を取り戻してくれたら、もう何も言うことはありません!


こてつさんファンの皆様、この度は私ごときがお邪魔して場を汚してしまったこと、お詫び申し上げますm(__)m

たまにでいいので、私のブログもよろしくお願いします(笑)


でででーさん
www.d-3.site